『喫茶店のお客さんノートを読む』
珈琲の店 力雀(元・雀)ノートより

2021年11月20日初版発行したハニホ堂のZINEです。ここでは内容の一部ご紹介、本文の訂正箇所や販売方法などをご案内します。

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*初期に購入された方へは間に合いませんでした。申し訳ございません…今後はこちらの正誤表を挟んでおきます。
↓80年代のノートより(編者のお気に入りは上から4人目「アメリカ村の ”ブチック安すぎてごめんね”」の話です)
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↓70年代のノートより(編者のお気に入りは右から二人目の文学青年ですが全員好きです)
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このZINEは、ノートの舞台となったお店をご存知の方も、そうでない方にも読んでいただきたいので、少しでも内容をお伝えするため、上に抜粋ページを、下に編者(ハニホ堂)のご挨拶「はじめに」は一部を略して大部分を掲載します。どうぞご覧ください。

はじめに

 昔から、喫茶店で「お客さんノート」を見つけると、「あ、あるな…」と、密かに心の中でピンを立てるようなところがある。

 特にマニアというのでもないし、目にしたら必ず手に取るわけでもないけれど、時おり、なんとなく開いて読むと引き込まれてしまう。  

 10代の頃は『りぼん』や『Olive』などの読者投稿ページも好きだった。1978年創刊で1985年に終刊した完全投稿型マガジン『おしゃべりポンプ』は現在のSNSの先駆けのようなもので、つぶやきや日記、イラストや写真など表紙、本文ページの隅々まで全て素人による(岡崎京子など、のちにプロになった人も)投稿で構成され、隣の家のお兄さんお姉さんの日常を知るようなワクワクがあった。  

 

 喫茶店のお客さんノートは雑誌の投稿とは違って、やや閉鎖的な環境の中で限られた読み手に向けて公開されるもので、他者と個性や人気などを競い合うものではない。誰もが自由にスペースを使えるメディアだからか、自己顕示欲らしきものより、むしろ読み手(店主や他の客)への配慮に満ちていて、時おり誰かの書いたもの(頼み事、励まし、相談事など)に別の誰かが返事する様子がページをまたいで展開されるところが、なんとも言えない魅力になっている。  

 

 2018年秋、大阪・阿倍野の路地裏にある小さな喫茶店が、営業45年目に閉店した。  

 私は常連ではなく、数ヶ月、または数年ぶりに訪ねるたびに、最初に店に連れてきてくれた人の名前を出してようやく店主に思い出してもらえる程度の客で、けれど自分にとっては特別な場所だった。  

 お店の立地や雰囲気、店主のお人柄、コーヒーやジュースの味はもちろん、ドアを開けて一歩足を踏み入れるとそこだけ時空が違うようで、普段、高速化した時代の波に呑み込まれそうな中、なんだかエアポケットに入って一息つくような感じで、「ホッとできる」空間だった。

 

 店主が長年大切にしていたのは、目の前のお客さんだけでなく遠方に越して行った方も含めた縁ある人たちとの交流、季節を感じる草花、音楽や美術工芸、映画や小説、漫画などあらゆる表現、猫や鳥、様々な生き物たち、訪れた方を撮影したポートレート、お店のあった天王寺界隈、そしてお店のカウンターでお客さんたちが書き継いできた大学ノートだった。  

 亡くなる少し前まで、彼女は信頼のおける二代目店主さんのサポートを受けながら営業を続けておられた。私が最後に訪れた同年の春、店内は開店45年目を迎えたお祝いムードに満ちていて、色とりどりのお祝いの花がカウンターを彩っていた。  

 旅立ちは突然で、二代目さんに正式にお店を引き継ぐための書類等は整っておらず、必然的に建物は疎遠だったご親族が管理することになり、店内のものは処分されてしまうことが予想された。そこで、有志の手で、法的には「財産」とは考えられないであろう、けれど「故人にとっては宝物」だったノート類や手作りのメニューボード、写真類や掲載誌などが持ち出され、ある民家の納戸で保管されることになった。

 私は後から人伝に聞いて、それらの存在を気にかけてはいたけれど、時が経つにつれて「一度全てのノートを読んでみたい、そして何か自分なりに形にしたい」と思うようになった。決意した私はノート全てと関係書類を自宅に送り、汚れを拭き取ったり破れや落丁の補修をまず行ってから、仕事の合間に約3ヶ月かけて読んだ。    

 

 ところで私は普段、積極的には年齢を明かさずにいて、出来るならここでも触れずに進行したいところだけれど、お店(ノート)のスタートは1974年で、私の生まれもそれに近く、お店の中に流れた年月は自分の人生のそれとほぼ等しいことに気づいた。だから自分がどういう時代に生まれ育ったか、どう人生を歩んだかについて、本文ではノートの話と並行して書いてゆきたい。  

 

 そのお店は、大阪の天王寺駅から阿倍野筋を南へ10分ほど歩いて左の小径を進み(地下鉄谷町線の阿倍野駅からだと近い)、やがて見えてくる小さな公園に続く横丁の一角にあった。  

 当初、店名は「雀」で、店主は「(お)姉さん」や「ママさん」と呼ばれていたが、やがて店名は「力雀」に変わり、彼女は「雀さん」と呼ばれるようになった。本名も年齢も明かさなかったが、祖父は著名な日本画家でいらしたという(「平凡パンチ」1978年9月4日号 138頁)。

 雀さんと三代の猫「ミミィ」さんによる小さなお店は多くのお客さんに愛され続け、44年の間に、雀ノート(途中から「力雀ノート」)は№1~172まで作られた。表紙のデザインやイラストは全て店主から依頼されたお客さんによるもの。

ごく初期にお客さんが持ち帰ったまま所在不明となったらしき№1をはじめ、途中何度かまとまった欠番があり合わせて19年ほど空白がある。それでもはじめと終わりは店の歴史と同じ、1974~2018だ。   

 それではこれから、お客さんノートの世界(を覗き込んだ私の主観ワールド)へまいりましょう。

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ZINE の販売について

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